東京キララ社オフィシャルコラム

辻幸雄コラム

辻幸雄

藤井良樹

PROFILE

辻幸雄
1949年10月、岐阜市生まれ。 高校卒業後、地元消防本部勤務。10年ほどで退職後、消防設備業・風俗営業等を経営。 ブルセラショップを立ち上げ、1993年、数百人の現役女子高生をビデオ出演させたとして、職業安定法違反で逮捕。 メディアにより大々的に取り上げられ、社会問題化した。出所直後からビデオ制作再開。以降、逮捕・服役を繰り返し、猥褻界の「帝王」として多くの伝説を残し続けている。

藤井良樹
ルポライター/漫画原作者/編集プロデュース。
■漫画原作『TWO突風!』『ガキ警察』(漫画/旭凛太郎 )
■著書『女子高生はなぜ下着を売ったのか』『キャバ嬢「給与明細」のヒミツ』『新世紀のリアル』(宮台真司・中森明夫共著)
■編集企画/『プリズン・ガール』(有村朋美)『ファイト!』(武田麻弓)、など。

第4回 『ゲーム機・消火器・ノーパン・ホテトルの帝王』

March 3. 2015 02:20 PM

猥褻するは我にあり ~帝王・辻幸雄の犯と罰~

第4回 『ゲーム機・消火器・ノーパン・ホテトルの帝王』

 

実家のそばに消防署、警察署、

鑑別所、拘置所、刑務所

が並ぶ大通りがありました。

まるで私の人生ですね

 

生まれは岐阜です。

ごくごく平凡な子供でしたねえ。不良とかでも全然ありません。

スポーツに熱中したってわけでもないですし、勉強がすごくできたとかもない、本当に普通の少年でした。

ただ小さいころから動物が好きでした。

高校では生物部に入りました。

そこで具体的な将来の夢として「獣医さんになりたい」と思うようになったんです。

信州大学獣医学部に進学し、獣医になろうと。

それで、それなりに受験勉強に励んだのですが、まぁ私の頭では現役合格は無理でして、

それでも夢はあきらめきれませんから、浪人生活を選びました。

受験勉強に専念するために実家を出て、安アパートも借りました。

ただ家賃も生活費もかかりますから、勉強の合間にはアルバイトにも精を出して。

で、そのバイトで知り合った2つ下の女の子とできちゃいまして。

つきあい始めてすぐ、私の安アパートで同棲するようになりました。

まぁ若いですし、好きあったならいつも一緒にいたいですからねえ。

ただ、その同棲生活をですねえ、偶然、親戚の叔父に見つかっちゃったんです。

そのおじさんが激怒しましてね。

「浪人生が同棲なんてけしからん! 男女が一つ屋根の下に暮らすならちゃんと身を固めろ!」

ってね。とても厳格なおじでしして。

実はその叔父、岐阜刑務所の刑務官なんですよ、あははは。

この後、何人、何十人もの刑務官の人たちと出会う人生になるわけですが、

この叔父が私が一番最初に出会った刑務官なわけです。

はい。

 

それで、すっぱり信州大学獣医学部を目指すのはあきらめまして。

同棲相手の彼女とは結婚しちゃうことにしました。

そしたらですねえ、刑務官のおじが、

「ばかもん! 無職で結婚する奴がおるか! 就職が先だ!」と。

そして、私の実家から2キロ程先の大通りに連れて行かれました。

その大通りは、岐阜市の官公庁通りなんですね。

警察署、消防署、自衛隊のビル、さらに鑑別所、拘置所、そして刑務所までが、

ずらりと並んで建っているんです。

その大通りで、叔父は私にいうわけです。

 

「幸雄、この並びの中から就職先を選べ!」

「刑務官はもちろん、警官でも自衛官でも俺が口を効いてやるから!」

私は考えました。本当は獣医になりたい。

でもそれがダメなら、なにか生き物の命を救う仕事がしたい。

ただ私は平和主義者なんで、警察とか自衛隊で武器持って戦うのはいや。

刑務官は……なぜか本能的に、「一番勘弁してほしい」。

そうしたら、あとは消防士しかなかった。それで消防署に就職することに決めました。

まぁ地方公務員にならせていただいたということです。

でもですねえ、今振り返って考えますと、その大通りはまるで私の人生でした。

大通りに並ぶ建物を行ったり来たり、出たり入ったりしていたようなものなんですね。

消防署に就職し、警察に捕まり、鑑別所・拘置所に入れられ、刑務所に服役する。

自衛隊のビルが裁判所なら完璧だったんですけど。あははは。

 

筆記試験・体力検査・面接と無事にこなし、採用試験はどうにか無事合格しました。

私、身体は大きいですけれど、特に体力自慢というわけでもないです。

運動神経もスポーツも十人並です。でもまぁどうにかこなせましたねえ。

消防士になり、二十歳になって、結婚をしました。

直後、子供も授かりました。男の子でしたね。

二年後には娘も生まれました。

ええ、そこらあたりまでは、平凡ながら幸せな生活だったんじゃあないでしょうか。

 

 

 

インベーダーゲームで大当たり。

消防士の月給を一日で稼ぎました。

家建てて車7台乗りまわして。

調子にのってましたねえ

 

転機は28歳のときでした。

当時、インベーダーゲームとかブロック崩しとかのゲーム機が大流行し始めていたんです。

たまたま知り合いがそのゲーム機のサイドビジネスを持ちかけてきましてね。

「絶対儲かるから、ゲーム機一緒に買おうや!」と。

ほお、そんなゲーム機リリースみたいな商売があるのかと思いました。

面白そうだな。

でもやるなら、自分ひとりでやりたい。

誰かと共同でやるのはあまり性にあわないんです。

行きつけの喫茶店のマスターに聞いてみたら、

「ぜひ、うちの店に置いてください。ゲーム台の儲けは折半でどうでしょうか」

と言われました。

それで、中古のブロック崩しの機械を2台、同じく中古のシーソーゲームの機械を1台、購入し、喫茶店に置いてもらいました。

ゲーム機の値段は中古で1台約15万円です。

そうしたらですねえ、これが本当に儲かりました。

ゲーム代1回100円。

それが喫茶店が営業している間、ずーっとお客さんが遊んでいる状態でした。

なにしろ順番待ちのお客さんが常にいましたから。

まだテレビゲームもパソコンも、まったく何もない時代です。

サラリーマンから学生、子供まで、もうみんな夢中になってました。

ゲーム機の上に100円玉を何十枚も積み上げて遊んでましたからね。

その100円玉がどんどんゲーム機に吸い込まれて、その半分が私の儲けになるわけです。

3か月後、新たにゲーム機を10台仕入れました。

今度は思い切って新品のインベーダーゲームにしました。

一台70万円。これもまた大当たりですよ。

ええ、もちろん、消防士は地方公務員で副業は違法です。

でもやめれなかったですねえ。

その頃、私の消防士としての給料がおよそ17万円。

ゲーム機の商売でその金額をほぼ一日で稼げましたから。

 

こうなったら、もうイケイケです。

高校の同級生に白馬のスキー場経営者の息子がいまして。

そのスキー場系列のペンション・喫茶店・レストランに、今度は30台のインベーダーゲームを置かせてもらいました。

これがもうバカ当たり!

週に2回集金に行くのですが、売り上げが毎回およそ140~150万円。

全て100円玉ですから、もう重くて持てないんです。

スキーシーズンでお客さんも多いこともあり、毎週約300万円の売上げ。

月にして1200万円、冬のシーズン4カ月間でざっと4800万円です。

スキー場への支払い、ゲーム機の仕入れ代なんかを差っ引いても、手元には半分は残る。

それで私は完全にひとりでやってますから人件費もかからない。それを2年間続けました。

まさにボロ儲けでしたねえ。

 

そんなボロい稼ぎをどうしてたのかって? はぁ、どうしてたんでしょう。

家を建てました。ローンですけどね。38坪。セキスイハウスの2階建て住宅。

あと車ですねえ。車7台持ってました。

トヨタの最高級車センチュリー、ニッサンの最高級車プレジデント、あとセドリック、ランドクルーザー。

さらに仕事用にタウンエースとかトラック3台ですか。

とくにクルマ好きというわけじゃあないんです。

ただなにかで当時の岐阜市長の公用車がトヨタ・センチュリーだと知りまして。

そんじゃあいっちょ市長と一緒のクルマ乗ったろかと、あはは。

しかもその次はロールスロイスを買うつもりでしたから、ほんと馬鹿ですねえ。

あと毎日毎晩飲みにいってお金使ってました。

でもクラブとかキャバクラとか、そういう女の子が接客する店には一切行きません。

そういう水商売の女の子とお金使って仲良くなっても全然面白くないじゃないですか。

だから行くのは普通の居酒屋やバーです。そんでそこにいるお客さんの女の子と仲良くなっちゃう。

愛人、いましたねえ。看護婦さん。

たぶんどっかで飲んでるときに知りあって、つきあうようになったんだと思います。

飲んだらみんなお友達になっちゃいますからね。女の子はみんな友達! あははは。

 

 

ゲーム機350台、2億円の大勝負。

ひと冬で10億円儲けるはずが、

記録的暖冬でスキー場は閑古鳥、

積もったのは借金の山だけでした

 

30歳を機に消防署を退めることにしました。その年の12月いっぱいで退職。

けれど、退めていうのもなんですが、消防士というのはいい仕事でした。

警察なら毎日いろんな事件が起こるでしょうけど、火事は毎日あるわけじゃないので結構暇なんです。

だからみんな、空いてる時間に身体鍛えたりしてましたねえ。

それに給料も地方公務員の月給とはいえ、危険な職業でもあるわけですから、様々な手当てもついて、そう悪くはない。

ただゲーム機のサイドビジネスでの稼ぎが月に何百万円にもなってましたから。

消防士の月給なんて一晩の飲み代って感覚になっちゃってました。

そもそも副業は地方公務員法違法です。だからもうきっぱり辞めちゃおうと。

 

そうして、消防署を退職した12月に大きな勝負に出ました。

インベーダーゲームのブームが最高潮のうちに、ひとつでっかく稼いでやろうと思ったんです。

それまでの2シーズン、スキー場に30台のゲーム機を置いていました。

3シーズンめにあたって、それを一気に10倍以上にしてやろうと。

350台のゲーム機を買い付けました。

インベーダーゲームと、さらにポーカーゲーム。その仕入れに2億1千万円かかりました。

会社組織にしてなかったものですし、それだけの貯金もありませんから、マル専手形という形で銀行からで資金調達しました。

マル専手形というのは個人が高額商品を買うときに振り出せる手形なんです。

だから手形といってもクレジットローンで物を買うのと同じく毎月支払いがあります。

私の場合だと1か月後には第一回目の支払いとして2500万円を収めないといけなかった。

それが2回滞ると手形は不渡りになってしまい、全額返済を迫られる。

毎月2500万円の返済なんて、普通はゾッとするでしょうね。

けれどそのときのイケイケの私の感覚では「まぁ大丈夫だろうなぁ」と。

なにしろゲーム機商売のいいところは、日銭がじゃんじゃん入るところ。

これまでの2シーズンの稼ぎから計算しますと、350台あれば一週間で3000万円以上の売り上げが見込めますから。マル専手形だって余裕です。

 

 

ところがですねえ、もうまったく、どえらいことが起こってしまったんです。

スキー場開きとなる12月1日。

ゲレンデにまったく雪が積もってないんですよ。

なんとその年、記録的な暖冬だったんです。

雪のないスキー場にお客さんは来ないですよねえ。

ゲレンデにも、ホテルにも、ペンションにも、喫茶にもレストランにも、お客さんが全くいない。

宿泊客もスキー客もいなけりゃ、わざわざゲームだけしにくるお客さんなんかいませんから、

インベーダーゲームもポーカーゲームも全然稼働しない。

山のような100円玉を集金することを予想して、新たにトラックも用意してたのですが、その出番も全然ありません。

マル専手形の第1回目の支払は1月10日です。2500万円の現金なんてありません。

初回からあっさり飛ばしてしまいました。

さらに1か月後。あいかわらずスキー場に雪はほとんど降りませんでした。

お客さんは来ず、ゲーム機は稼働せず、2500万円は払えず、2回目にしてマル専手形不渡りです。

雪さえ、雪さえ降ってくれてればねえ……。

このシーズンだけで10億円近く稼げるはずだったんですけどねえ……

まさか雪がまったく降らないとはねえ……。

積もったのは借金の山だけでした。

あはは……。

 

 

資金調達はマル専手形だけでなく、街場の金融屋からも引っ張ってました。

だから白馬のスキー場に大阪からヤクザが取り立てに乗り込んで来ちゃいました。

客がこないのにヤクザは来る。まぁお客さんがいないから来たんですけど。

2億円を越す不渡りの取り立てですから、ヤクザもそりゃあ必死です。

修羅場? や、そんな感じじゃあないですね。

いくらか金があって、金を奪いあうなら修羅場になるのかもしれないですけど、金、ないですから。

まったくない。雪がないから金もない。無い金は払えない。これはヤクザでもわかることです。

私は逃げる気とかはさらさらないですし。

家を売り、クルマ7台を売り、トラックも売り、ゲーム機も全て処分して、まったくのすっからかんになりましたね。

女房とも離婚しまして、看護婦の愛人とも別れて。

結局、1億3千万円の借金が残りましたねえ。

 

 

次は訪問販売。

「消防署のほうから

消火器の販売にきました」

でこれまた大儲けです

 

借金1億3千万円は3年で返しました。

次に始めた商売が、これまた大当たりしちゃったんです。

それは、消防設備業。

いわゆる消火器の訪問販売ってやつですね。

なにしろこれでも元は消防士なもんで消火器には詳しいですし、消防設備工の資格も持ってます。

消火器って有効期限が5年なんです。5年たったら中身の消火剤を入れ替えなきゃならない。

消火剤を入れ替えて、ラベルを張り替える。その料金が当時かなり高額だったんです。

だいたい1万5千円とかしてたんじゃあないでしょうか。

でも実際の消火剤の値段は400円くらいなんですよね。だから物凄い高利益の商売で、消防署関係の組合なんかがほぼ独占に近い形でボロ儲けしていたわけです。

そこに私は着目したわけなんです。

これだったら価格を半額にしても全然儲けでるじゃあないかと思ったわけなんですよ。

資本金として100万円をどうにかかき集めまして、それを元手に〝日本消防設備協会〞を立ち上げました。

私以外に3人のバイトを雇って、ボロボロの中古車1台を5万円で調達しまして、4人で岐阜中をまわるわけです。

 

「消防署のほうから来ました〝日本消防設備協会〞です」

「おたくの消火器、そろそろ期限切れですねえ」

「消火器は中身の消火剤が5年、本体が10年で期限切れなんです」

「それは<消火器の技術上の規格を定める省令>で定められてるんですよ」

「他の会社ですと消火剤の交換だけでも1万5千円かかります」

「わたくしども〝日本消防設備協会〞ですとほぼ半額の8500円ですけどどうでしょうか」

 

作業着を身にまとってこんなセールストークをいうだけで、ばんばん注文がとれました。

まぁもともとは消防士ですし、それなりに説得力はあったんじゃあないでしょうか。

私が一番売りましたが、バイトたちにも私のセールストークを真似させてるうちに、みんなガンガン売るようになりましたね。

消火器訪問販売はボロいというのはよくいわれてましたが、実はそれをかなり最初にやったのが私だったんじゃないですかねえ。

確かに400円のものを8500円で売るわけですからボロいです。

「省令で定められてる期限が切れてます」「うちならほぼ半額で交換します」といえば、

かなりのみなさんがすぐ「じゃあお願いします」となりますから。

 

会社や店や家をまわればまわるほど注文とれますから、人をドンドン雇うことにしました。

給料は完全歩合です。8500円の消火器の中身交換の注文1件につき4200円の歩合。

1本売ったら、料金の半分あげますよと。

それで、どんどん歩合営業員を増やし、販路も増やしました。最盛期には支社を東京・名古屋・大阪・山口・博多・熊本・大分に作り、営業員は200名を越えました。

ただですねえ、これだけ大きな組織にしたのに、〝日本消防設備協会〞を会社登記しなかったんです。

なんていうんですかねえ、面倒くさいんです、会社とかきちんとした形にするのは。

それが私の悪い癖なんですかねえ、金儲けがうまいのか下手なのか、。

どう考えても下手なんじゃあないでしょうか、どう思われます?

 

 

ところが、そのうち、消火器の訪問販売がちょっと社会問題みたいになってきました。

私自身は押し売りや悪どい売り方をしたつもりはありません。

どちらかといえば良心的価格、それまでの値段の半額近くで売っていたつもりなんです。

ただ消火器訪問販売が儲かるとなってから参入してきた他の会社や、あとうちの歩合営業員の中には、

悪どいセールスをやっていたのがいたのも事実みたいです。

交換期限の年数を偽ったり、「これは買い替えないと消防違反です」と言ってみたり、

高い値段で無理やり売りつけたり。実際、うちの営業員たちも歩合をごまかす連中が多数出てきたんです。

8500円の料金を上乗せして売ったり、販売本数そのものをごまかしたりもし始めた。

さらに〝日本消防設備協会〞は会社じゃないので、実は訪問販売法違反にもなるんです。

 

そんなこんなで、インベーダーゲームで背負った1億3千万円の借金を返し終えたところで、

〝日本消防設備協会〞は解散することにしました。

だいたい3年近くやりましたか。

どうやら消火器訪問販売では日本でベスト3に入るくらいの組織にはなってたみたいなんですがねえ。

まぁでも借金はどうにか返せましたし、消火器はもういいや、という感じでした。

 

 

ノーパン喫茶『エイティーン』。

岐阜駅前にオープンさせました。

初日から行列ができましたよ。

私の風俗業デビューですね。

 

消火器販売の会社を畳んで、さて次はなにをやろうか。

岐阜駅前でノーパン喫茶を開店することにしました。

いや別にですね、「いよいよフーゾク業界に進出するぞ!」みたいな感覚じゃないです。

ほんの軽い気持ちで、当時はノーパン喫茶が大流行してましたから、だったらやろうかなあと。

その駅前の店舗物件を扱ってる不動産屋のおやじが、「おもしろいじゃねえか、やれやれ」なんていうノリの人で、簡単に店が借りれたこともありましたしね。

 

開店資金は300万円くらい。

開店にあたっての営業許可とかは一切とってません。

その頃はまだ新風制法施行前ですから、ノーパン喫茶やファッションヘルスみたいないわゆるフーゾク店は、

公安委員会への届け出を出す必要はなかったんです。

ただ喫茶店ですから保健所から飲食店の営業許可もらわないとダメなんですが、それもとりませんでした。

警察も特になにも言ってこなかったですねえ。

岐阜駅前で堂々とおおっぴらにオープンしてましたから、

警察も保健所の許可くらいはとってると思いこんでたんじゃないですか、あはは。

 

ノーパン喫茶の店名は『エイティーン』。

若い女の子がいますよって連想させるために、そんな名前にしました。

普通のこじんまりした喫茶店程度の喫茶スペースがあって、

さらに奥にプレイ用個室が4部屋。部屋の広さはだいたい2畳くらいですか。

ウェイトレスの女の子は常時3~4人。上半身は裸のトップレス。下はミニスカートでノーパン。

ただし薄地のパンティーストッキングは履いています。

コーヒー1杯1800円。

個室に移動してのサービスは、女の子が手で触って出すだけ、つまり手コキですね、それが5000円。

シックスナインが1万2000円。

 

店は普通に大当たりしました。

岐阜で女遊びといえば、特殊浴場・ソープランドです。

それはもう金津園という有名なソープランド街がありますから。

けれど逆に軽いフーゾク店、ノーパン喫茶とかファッションヘルスは駅前になかったんです。

だから開店してすぐお客さんが並びましたねえ。

店で働く女の子はスポーツ新聞の求人広告とかで募集したんですが、いいコが集まりましたよ。

一番の売れっ子は19歳のすごく可愛いコ。

処女でこそなかったですけど、まだフェラチオしたこともないっていう。

靴屋さんの従業員で、そのコが言うにはですよ、「私、靴一足売って、10円の歩合なんです」

本当にそう言ってました。まぁなにしろ、むちゃくちゃな安月給で働かされてたのは間違いない。

そんなコがですねえ、フェラもしたことないコが、お客さんからフェラ教えてもらって、

瞬く間に売れっ子になって指名殺到して、1日最高27万円稼ぎましたねえ。

靴1足売って10円。

でもおちんちん1本なめたら5000円ですから。

店の粗利は一日平均にしておよそ20万円ありました。

月商1200万円。

女の子へのギャラが半分近く掛かるにしても相当な儲けです。

ただ、この『エイティーン』は4カ月で閉めました。

1985年、新風営法が施行されたからです。

これによって地元の公安委員会への届け出が必要になりました。

さらにうちの店の200メートル圏内には学校がありますから、条例的にもいろいろややこしいんです。

管轄の警察署からも、「2か月以内に店をやめろ」とのお達しが来ました。

なので、新風営法施行と同時にすっぱりと『エイティーン』を閉めました。

「はいはい、警察のおっしゃるとおりに閉めさせていただきます」と。

そこはもう素直!

 

ノーパン喫茶やめて、じゃあ次になにやるか?

ホテトル!

完全な非合法です。あはははは。

厳しくなった新風営法の隙き間をぬってちょこちょこやるくらいなら、

いっそ非合法の方が気持ちいいじゃあないですか。

 

 

50人のホテトル嬢で

月商4500万円。

完全に非合法ですが、

凄さまじく儲かりましたねえ

 

ホテトルはですねえ、勝算あったんです。

ノーパン喫茶のときも考えましたけど、こういうことなんです。

岐阜には旧赤線地帯の金津園というソープ街があって、ソープランドが80軒はある。

そのソープ1軒あたりに少なくとも一日50人はお客さんが来る。

一日あたり4000人ものお客さんが女の子を買ってる、それくらいの潜在的需要がある。

その毎日毎日のソープ客の一割がホテトルへ流れてくるだけで充分商売になります。

さらにですねえ、新風営法改正でソープランドの深夜営業ができなくなったんですよ。

深夜1時にはお店を閉めなくちゃならない。

その分の深夜のお客さん、ソープにあぶれたお客さんがホテトルに流れてくるんじゃないかとも考えました。

ホテトルはそもそも存在が非合法ですから風営法もなにも関係ありませんしね。

 

ホテトル、あたりましたねえ。

最初は電話2台、女の子5人で始めました。

ノーパン喫茶で雇ってた女の子は、「本番はイヤです」と辞めてったコもいました。

ただ、「ホテトルでもいいよ」と残ったコもいます。特に引き止めはしないです。

よくこういう商売は、何よりも女を集めるのが難しいとか言われるのですが、

私はそれで苦労をしたことはありません。

女の子を集める苦労は本当になかったです。

ノーパン喫茶、ホテトル、その後にやった使用済み下着販売、ブルセラ、ブルセラビデオ、ハメ撮り、

援助交際デリヘル……すべてにおいて、女の子集めの苦労はしたことありません。

不思議ですか?

う~~ん、不思議ですかねえ。

ほんとうに特別なことはなにもしてません。ただ、ごくごくあたり前に、その時々の商売で、

女の子に対して、「こんなことやってるんやけど、やってみませんか? お金は払います」、

正直にそう言ってるだけにすぎないんですけどねえ。

 

岐阜駅前にマンションを借りて、そこを事務所兼住居にしました。

私が住み込んで、深夜から早朝まで、すべてのお客さんからの電話をとります。

お客さんへの電話応対に関しては、特別なセールストークはしません。

ただひとつだけテクニックがありました。

「いい女いる?」なんて聞いてきて、女の子を呼ぼうかどうか迷ってるお客さんを落とすテクです。

「いい女いる?」 これにどう答えるか。

それはですねえ、「美人がいますよ」とか「若いコがいますよ」じゃあないんです。

「気に入らなかったらチェンジしてもいいですから」でもない。

こういうやりとりの感じなんです。

 

お客 「いい女いる?」

私 「はぁ、いま女の子がひとり、いるにはいるんですが……」

お客 「どんな女だ? 年齢は? 可愛いのか?」

 

これに私は全部正直に答えます。嘘は言わない。電話口で嘘をついても、ホテルにいきゃあバレるんですから。

それこそ、待機しているコがそんなに可愛くなかったりしたら、

「顔は……10段階で4くらいですねえ」と言ったりするときもあります。

そうして、女の子の年や容姿を真っ正直にお客さんに告げたあとにこう言うんです。

 

「ただですねえ、実はこのコ、今さっき面接に来たばっかりのコでして……」

 

さらにその場でそのコに「おい、○○ちゃん、あんたもう今から行けるか? どうや?」なんて聞いたりして。

これで迷ってる客、ほぼ落ちます。「そのコ、頼む!」となります。

なんといいましょうか、男ってのはやっぱり「新人」とか「素人」に弱いんですかねえ。

 

開業して2日めから女の子が足りなくなりました。

1カ月もするうちに電話は2台から13台になって、女の子も一挙に40人以上に増えました。

事務所兼住居のマンションも3LDKの100坪以上の部屋に引っ越しまして。

当時、私の知る限りでは岐阜市内で13社ほどのホテトルがあったと思うんですが、

その中でうちはシェア7割はいってたんじゃあないでしょうか。

一応、営業努力はしましたよ。

店の名前をいっぱい考えて、『甘えっ娘』『奥さま』……若いコ専門、人妻ホテトルと、

いろんなパターンの店のビラを作って、同業者の何倍も貼りまくりました。

ビラを公衆電話や電信柱、トイレの壁なんかに貼るアルバイトの〝ビラ子〞を7~8人雇ってましたから。

ビラ子は警察にパクられる可能性がるので、その危険代も込みということで日給2万円払っていました。

ただし電話番は私ひとりです。お客さんからの電話はすべて私がとる。

年中無休です。13回線の電話が常に鳴っている状態。

一度に6~7本の電話がかかってくることもザラにありました。

どうしても対応しきれないときだけ、待機してる女の子に電話に出て貰ってました。

なにっしろですねえ、朝の7時から電話が鳴りますから。

一日のお客さんがおよそ140人。最高140人じゃなくて平均140人です。

最高の時で200人近いお客さんでした。

女の子を50人雇って、みんな一晩で最低2回転から3回転はしてました。

でもですねえ、ホテトル嬢50人を管理するのは本当に大変でしたよお。

事務所に冷蔵庫があって、そこに女の子たちが飲み物や食い物を買い置きするんですが、

やれ「私の牛乳誰が飲んだの!?」から「昨日買っておいたプリンがない!!」から、

もうそんなことで毎日もめたり喧嘩したりで、その仲裁もしなきゃいけない。

そんな合間にも13回線の電話は鳴り続けるわけで、てんやわんやですよ。

140本の電話をひとりで受けて、140人の男性客に50人のホテトル嬢をあてがっていく。

それを早朝から深夜、明け方まで、毎日毎晩休みなしでやるわけですから、本当に大変でしたねえ。

一度なんか、あまりのストレスで、その13本の電話回線を一挙に引きちぎっちゃいました。

「ああああ!!  も~う、うるさい!!」 ぶちぶちぶちぶちーーーって。

あの時代は電話回線もソケット式じゃないですから、一度引きちぎると電電公社に頼んで修理に来てもらわないといけない。

まぁ翌日、すぐ修理してもらいましたけれど。

 

そのぶん儲かりました。

ホテトル料金は90分2万5千円。そのうち、女の子の取り分は1万5千円、私が1万円です。

お客さんが一日平均140人。延長するお客さんも多いですから、一日の売上げは400万円。

女の子のギャラ、ビラ子の日給、事務所の家賃などの経費をのぞいても粗利は一日150万円は出てました。

1カ月にすると売上げで約1億2000万円、粗利で4500万円って感じでしょうか。

我ながら凄まじい儲けでしたねえ、ええ。

 

岐阜市で一番いいマンションを事務所にしていました。

当時で家賃20万円、長良川が一望できる140平米の高級マンションです。

隣りに大きな有名旅館が建っていまして、そこの大浴場、しかも女風呂が思いっきり見えました。

修学旅行の女子高生たちの集団裸体ものぞけましたねえ。

別にのぞきの趣味はなかったですから、「おお、見える見える」とホテトル嬢たちと笑っていただけですけど。

その頃から女子高生の裸には妙に縁があったということなんでしょうか。

 

たたですねえ、ひとつ、本当にいや~なことがありました。

ヤクザです。

ホテトル商売はですねえ、否応なしに特定のヤクザにみかじめ料を払わなきゃやっていけない。

私の場合、凄く儲けているということで、毎月30万円ものみかじめ料を払っていました。

これ、破格の高値です。ただ、このみかじめ料だけならいいんです。

これ以外にもヤクザはむやみやたらにタカってくるんです。

「神戸から客人が来たから女まわせ」と言って、何人ものホテトル嬢をタダで要求する。

仕方ないから女の子を出しますけど、女の子のギャランティは私の自腹です。

あとは「いまみんなで飲んでるからおまえも来いよ、一緒に飲もうや」といきなり呼び出される。

ようは、その場のヤクザ全員の飲み代を払えってことです。

飲み代払わされるのも腹立ちますけど、忙しいのにいちいち呼び出されるのが本当に嫌でした。

さらには〝無尽〞に強制参加させられたり。

無尽というのは無尽講、頼母子講ともいうんですが、参加者がお金を出し合う民間金融みたいなものです。

例えば、ひとり10万円で10人の無尽なら100万円が集まるわけです。

これを毎月やる。最初の月は親が100万円とって、次からは入札制。

各自が何円借りたいからを入札して、一番高い金額を入札した人が借りていくとか。

まぁいろんな取り決めがあるにはあるんですが、ヤクザがやる無尽ってのは結局やらせです。

ていのいい恐喝みたいなもんで、「無尽やるから金出せ」って言われて出す10万円は絶対戻ってこない。

そんな無尽が何カ月も続く。自分が借りれることはなく、ただただ毎月払わせられるだけ。

そんなこんなでみかじめ料の10倍、だいたい月にして300万円はヤクザにたかられてましたね。

一年間で4千万円近くあいつらに喰われてましたよ。いくら荒稼ぎしてるとはいえ、痛いです、大きいです。

だからヤクザは大っ嫌いなんです。

あいつらはゴミです。

 

ただ私自身、お金には無頓着でしたねえ。

売上金150万円くらいを部屋に置きっぱなしにして飲みにいって盗まれちゃったり。

犯人はたぶん、女の子かビラ子だと思います。部屋にはきちんと鍵をかけたたのにあっさり入られてますから。私の隙を見て合鍵を作ってたみたいです。

さらには、これも売上金の70万円をタクシーの中に忘れちゃって戻ってこなかったり。

そんなこんなのホテトル商売のストレスに比べたら、

「いつか逮捕されるんじゃないか」っていうプレッシャーのストレスは大したことなかった気がします。

正直、「いつかは逮捕されるだろう」って覚悟してましたから。

 

 

1年半ホテトル経営を続けて、パクられたとき、手元に残っていた現金は5000万円でした。

だいたい1カ月の売上げちょっとです。

その5000万円から国税に3500万円とられました。税金払ってなかったから仕方ないんですけど。

逮捕は大きく報道されました。

<日本最大のデートクラブ摘発>の見出しで、朝刊紙の社会面に7段組みの記事です。

売春防止法違反・周旋行為と契約の罪。

裁判では一切否認せず、すべて罪を認めまして、懲役1年2か月。

こうして三重刑務所に収監されることになりました、はい。

 

<『猥褻するは我にあり〝帝王〞辻幸雄の犯と罰』 連載第4回・おわり>

 

【次回予告】

日本最大級のホテトル犯罪者として、初めて本格的に刑務所に収監された〝帝王〞。

その懲役を終えて、再びホテトルを始め、即逮捕・起訴・懲役……。

そうして、いよいよブルセラ商売へと乗り出すことになる。

次回では当時のブルセラ女子高生の実情・実態・ルポルタージュやも交えながら、

より深く濃く、〝帝王〞辻幸雄の犯罪と人間に迫っていきます。

次回・第5回『ブルセラの帝王、世を騒がす』(仮題) にご期待ください。

東京キララ新聞社

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